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●資料提供 東京都荒川区教育委員会
荒川ふるさと文化館
足立区立郷土博物館

江戸名勝図会 「日暮里 古名新掘」


諏訪台からの眺めであろうか。名所江戸百景「日暮里諏訪の台」とほぼ同じ構図である。題にある「古名新掘」とは元々新堀(にっぽり)という地名であったことをいう。

東都名所 「日暮里」


歌川広重(初代) 天保6年(1835)頃


花見寺のひとつ修性院境内春景色。左端にしだれ桜、奥に花見寺のひとつ青雲時、山上の番神堂に向かう中腹に2つの碑、枝ぶりの良い松を描く。




東都名所 「道灌山虫聞之図」


歌川広重(初代)画 天保6年(1835年)頃
足立区郷土博物館蔵

道灌山の虫聞きは、江戸の秋の風物詩。くさぐさの虫の音を楽しむことができたが、松虫がことに有名であった。まだ暑さも残る秋文月、涼しげな浴衣姿の女性らが子どもを伴って道灌山の見晴台に上ってくる。上等席に陣取り風流を気取った三人衆は、虫の音を聞きながら杯を傾け、月を眺めつつ一句捻ろうとしているのであろう。


江戸名勝図会 「道灌山」


歌川広重(二代) 文久2年(1862)頃


道灌山が聳え立つ様と崖下に拡がる田畑を対照的に描く。空を飛ぶ落雁が虫聞きの行楽客を描かずとも秋を象徴している。道灌山の裾野をまくように描かれた道は、田端から新堀村を経て谷中本村へと続く。左上のコマ絵では、道灌山の由来と高台から見えるであろう筑波嶺や日光の山並み、眼下に広がる村々の景色を述べている。




東京名所三十六戯撰 「日暮し乃里」


昇斎一景 明治5年(1872)

花見寺のひとつ修性院境内中腹。花見客の浮かれた様、ご酒を過ぎてへたり込んだ僧侶を描いた戯画。この季節は僧侶といえども花より団子ということか。


東京名勝図会 「道灌山」


歌川広重(三代) 明治2年(1869)頃
足立区郷土博物館蔵


道灌山の春景色、花見を楽しむ行楽客で賑わう。遠くに筑波の嶺。崖下の小道は田端へと続く。中央の母子は空に向かって土器(かわらけ)を投げ、手前に土器売りの女性がかがんで、その行き先を見守っている。土器投げは道灌山でも行われたが、次第にひぐらしの里(西日暮里三丁目)に客を奪われたという。




武蔵百景之内 「道灌山」


小林清親画 明治17年(1884)

雨交じりの晩秋の景色。奥に道灌山の見晴台、手前に大きく馬草鞋を履かされた馬を描く。馬の背には大ぶりの練馬大根が乗られている。根物を扱う駒込のやっちゃ場に向かうのであろうか。馬の足の間には、前年に開通したばかりの汽車、さらに遥かに浅草の五十塔を描く。


東京開花狂画名所


月岡芳年画 明治14年(1881)頃
足立区郷土博物館蔵


芳年は文化開化風俗を絶好のテーマとし戯画として描いた。桜真っ盛りの道灌山では、ほろ酔い気分の花見客が土器投げに挑戦。勢い余って土器は飛ばさず、自分が崖下に落ちそうになる。朗らかな笑いが聞こえそうな春の一日である。手前は土器売りの籠。




道灌山下


井上安治画

道灌山の麓には広々とした田園が広がり、畦道を行く人馬が描かれている。馬の背には大根が積まれている。



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上は昭和27年から29年頃、下は昭和25年頃の日暮里駅前
一檜垣卓司氏提供


近代の旧北豊島郡日暮里町をいう。
新堀村、谷中本村、金杉村の一部からなる。

現行地名では、西日暮里二〜五丁目、西日暮里一・六丁目の大部分、東日暮里四・五丁目、東日暮里二・三・六丁目の大部分、東日暮里一丁目の一部にあたる。

農業用水として利用されてきた石神井川用水(音無川)北、文京、台東区を流れる谷田川の氾濫を防ぐ目的で造られたが、埋め立てられたり暗渠になった。 



永禄2年(1559)の「小田原氏所領役帳」に北条氏家臣遠山弥九朗の所領として「四拾五貫文 新堀」とみえ漢字としてはじめて記されている。
江戸時代初期から中期にかけて日暮里の丘陵地に寺院の移転が進められた。
寺院は競って境内の庭園を造り雪見寺(淨光寺)、花見寺(妙降寺、修正寺、青雲寺)月見寺(本行寺)と称され丘陵はさながら一大庭園のような名勝となり、いつとはなしに新堀に「日・暮・里」の字を当て「日ぐらしの里」と呼ばれるようになったという。


村の景観は村の西側に谷中から続く台地を据え、東の崖下に低地が広がる。
台地上には、寺社が集中し台地を挟んで下駒込村よりと、その東側を流れる石神井用水(音無川)沿いに、百姓地が点在する。

農産物としては、米のはかに菘(すずな)、葱(ねぎ)、漬菜(三河島菜)、生姜があげられる。

新堀村が、明治十年(1877)7月に第十一大区五小区に同字の新堀村(現江戸川区 )があり、郵便誤配になるため日暮里村に改称された。

明治22年(1889)市制市町村制法により金杉村(石神井用水以南)、および飛地字千束を除く=現台東区)、谷中本町、日暮里村)が合併し東京府北豊島郡日暮里村が誕生した。



土器投げ(かわらげ)
諏訪台で求めた土器を利根川・関谷・隅田川を遥かに望みつつ虚空に投げる遊戯

秋の「虫聞き」、薬草摘み

遊山参詣
四季折々の景色を楽しみながらの神仏の参詣

寺院庭園の眺め
雪見寺(淨光寺)、花見寺(妙降寺、修正寺、青雲寺)、月見寺(本行寺)



明治16年7月 上野、熊谷間 開通

明治38年4月 日暮里駅誕生




計画内容は現時点のものであり、今後変更することがあります。
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